昨晩2回目となる「ソーシャル・マンデー」という企画を昨晩開催しました:ー)。週に一回、Social Media for Social Goodというテーマに関し、普段気になるトピックについて語る、というカジュアルな集い(ミートアップ)として先日始めたものです(詳細はこちら)。

お陰様で3名に参加頂き、非常に密度の濃い、ディスカッション、情報交換をすることが出来たので簡単にご報告します。

テーマは、「フィルターバブル」という書籍の著者であるイーライ・パリザー氏による以下のTEDでの講演『危険なインターネット上の「フィルターに囲まれた世界』を踏まえ、「ソーシャルメディアにより知らないうちに視野が狭くなっているかもしれない?」ということをディスカッションしました。

冒頭、まずはGoogle Facebook等のソーシャルメディアツールにより高度なパーソナライゼーションが進み、検索結果、表示内容が個人によって異なることを確認。私ともう1人の参加者の方のPCで試しに「菅直人」をGoogleに入力して比較してみました↓。


冒頭から異なる検索結果が・・・是非会社の同僚、友人とで比較してみてください。改めてここまで異なる、ということに驚かれる人も多いと思います。今までの検索、訪問履歴等によって、知らないうちに「最適化」がされていることに気づきます。

2007年末にウェブ上で公開され話題になった「“Google+Amazon=Googlezon”の出現を予言する動画」、「EPIC 2014」を思い出す人もいるかもしれません。ウェブ上での購買履歴、ブックマーク履歴、クリック履歴等の個人情報が蓄積することで、カスタマイズ、パーソナライゼーションが進む、という話です。

その他にも話題になったのは、フェイスブックの自分の「ウォール」画面を見た時に表示されているエントリーがアルゴリズムによって、普段自分とのやり取りが多い、共通の友人が多い人、コメントや「いいね」のやり取りが頻繁な人の表示が多く掲載されていることです。

通常のデフォルトの状態だと「ハイライト」という設定になっていますが「最新情報」という項目をクリックすると、自分が友達となっている人の更新情報を全て見ることは出来ます。ただ日々忙しい中でそこまで気にかけている人、認識して使い分けている人は少ないのではないか、結果、ある一定の限られたコミュニティの中でのみやりとりをしている可能性が高いかもしれない、ということになりました。

生命に関わる、明日への行動のための情報摂取が重要となる中での、情報の目利きの大切さ

ここで話題は震災後の情報摂取に関してへ。震災直後、「東京に留まるべきか、脱出すべきか」、或は自分の住んでいる地域の「放射能線量」について、自分のそして自分の家族の生命に関わるような事態に直面した時にどんな情報へのアクセスが可能で、どんな選択をするかが大きく問われています。政府報道、或は大手メディアが言っているから、というよりも、自分の信頼する人が言っている情報を次第に選択するように私たちはなってきていることを議論しました。ただその際、広い意味での「メディアのリタラシー」に、結局のところ依存するのではないだろうか、ということになりました。

では「メディア・リタラシー教育」は行われているか、もし十分でないとすれば誰がするべきか、というようなことが話題になりました。ここでは敢えて情報摂取のためのソーシャルメディアの活用についての話ですが、現状広く企業、学校、或は地域コミュニティでソーシャルメディアの効果的な活用に関して教育が行われている機会は非常に限られているという話になりました。

「そもそもソーシャルメディアの活用は教えるべきものなのか?」という点に関しては、個人差もあるからそんなものは教えるべきものではないという考え方から、「グーグルやQ&Aサイトで自分で検索するべき」だったり、答えは誰も持ち合わせてはいない様子で、最終的には「自己責任」に帰結するしかない様子でした。

その他ここでは書ききれないくらいたくさんの気づき、発見があったのですがまずはご報告までに。ややカタい内容に見えるかもしれませんが、普段気になる「おや?」ということをカジュアルにディスカッションするサロンとして今後も緩やかに毎週月曜日20:00-21:30で予定しています。ご興味ある方はお気軽にご連絡ください(毎回定員6名で行っています:ー))。次回は情報のアウトプットに関してというテーマを想定しています。ご案内はメルマガ、或はフェイスブックページを中心に行いますのでよろしければご登録くださいませ。